。とくにDOOMなどのアクションゲームは,できるだけ快適な通信環境で遊んだ方が絶対に面白かったからね。当時のゲーマー達にとって,我々が提供したDWANGOというサービスは,とても魅力的に映ったことと思う。 : 確かに。当時は少しでも快適にゲームを遊ぶための努力や工夫に,結構な労力や金額を割いていた気がします。ところでDWANGOは,最盛期でどのくらいのユーザーを抱えていたのでしょう? FPSというジャンルの火付け役となった「DOOM」は,驚異的な人気を誇った伝説的なタイトルだ,Buy Diablo 3 Gold。その続編の「DOOM II」も,まだそれほどネットが普及していない黎明期の作品ながら1000万回以上のダウンロードを記録した ハントレー氏: うーん,どうだったかな。かなり昔の事なので,ちょっと記憶が定かじゃないけれど,少なくとも10万人くらいのアクティブなユーザーはいたと思う。全米だけでも27都市にアクセスポイントを設置していたし,そのアクセスポイントを通して,全米のプレイヤー同士で通信ゲームが遊べるようになっていたんだ。 : 10万人ですか。かなり流行っていたんですね。 しかし,当時のDWANGOをはじめとしたオンラインゲーム会社のビジネスモデルって,プレイ時間で分いくらでお金を取る従量課金形式が主流ですよね。今から考えると,もの凄い高価だったと思うんですけど。 ハントレー氏: そうだね。それでも,1995年にWindows 95が発売された後,Microsoftと提携してWindows版「DOOM」のマッチングサービスを請け負っていた頃までは,uggブーツ,かなりの数のゲーマー達で賑わっていたんだよ。 ただWindows 95は,インターネットと親和性の高い,当時としてはとても画期的なOSで,Windows 95の登場を境にして,インターネットが家庭にも急速に広まっていった。インターネット経由での通信プレイが一般化するにつれて,DWANGOのサービスはだんだんとその存在意義を失っていってしまったんだ。 : モデムの通信速度もどんどん速くなっていきましたし,何よりも「無料」の流れが一気に押し寄せましたよね。 ハントレー氏: そうなんだ。従量課金型のビジネスが成り立っていたのは,だいたい1997年くらいまでだったかな。とくに「Quake(1996)」の登場は決定的(※)だった。あのゲームは非常に優れていて,ゲーム自体で通信の遅延を感じさせない設計を施していたんだ
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